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作成年月日:2015年8月

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インド情報 2015年7月

モディ首相、来年パキスタン訪問
両国首相、ロシア・ウファで会談

モディ首相とパキスタンのシャリフ首相は、10日、上海協力機構(SCO)首脳会議出席のため訪れていたロシア中部のウファで会談した。今回の印パ首脳会談は、モディ首相の就任式に出席するため、シャリフ首相が訪印した2014年5月以来、1年2か月ぶりのこと。この1年2か月の間、両首脳は昨年11月、カトマンズで顔を合わせたが、首脳会談にまで至らなかった。

直近3カ月間で、両首脳は少なくとも3回電話会談を行っている。イエメンからの退避、ネパール地震、ラマダンのお祝いの3回。

会談はプーチン首相の働きかけ

今回の首脳会談は、包囲網を強める欧米に対するプーチン・ロシア首相の思惑もあり、プーチン首相の働きかけで開かれたとする見方がある。両首脳は9日夜、行われたプーチン主催の夕食会で初めて会い、翌朝、インド側が急遽、会議室を予約した。モディ首相は早めに到着し、シャリフ首相の到着を待った。 会談は1時間に渡って行われた。通常の首脳会談では、会談後の記者会見のため、前もって事務ベースで合意文書が用意されているが、両首脳の決断により急遽、開かれた今回の会談では違っていたようだ。会談後の記者会見には両国外務次官が出て、合意事項を読み上げると質問を受けること無く退席した。

会談は親密な会話で始まった

インドメディアが伝えるところによれば、会談はシャリフ氏の方からモディ氏に対し、最近行われたウズベキスタン、カザスタン訪問について、「どうでしたか」という言葉で始まった。EUの件、アフリカ問題、南アジア協力連合(SAARC)の件などが友好的に話し合われた。

本題に入り、モディ氏の方から、「ムンバイのテロ事件の首謀者ラケヴィの釈放はインド国民の心を傷付けた。貴政府の方で然るべき対策を取って欲しい」と迫った。シャリフ氏は、世論を敵に回すことはモディ政権にダメージを与えることを理解したようで、容疑者の裁判スピードアップに同意した。

最大の成果はモディ氏の訪パ約束

会談の最大の成果は、モディ氏がシャリフ氏の招きに応じ、2016年、パキスタンで開かれるSAARCに出席することを約束したことだ。インドの現職首相の訪パは2004年のバジパイ首相(当時)にまで遡る。

10年間、政権の座にいたマンモハン・シン前首相は、一度もパキスタンを訪れていない。

その他、両首脳で合意されたのは、@両国の安全保障担当顧問の会合開催、 A両国国境警備隊の早期会合、B両国が拘束している漁民の15日以内の釈放、 C地域観光の活性化、Dムンバイテロの裁判促進。

両国間の最大の問題点である北部のカシミール地方の帰属問題については、今回の会談では意識的に議題にすることを避けたようだ。カシミール帰属問題で、両国は過去3回戦火を交えている。

パキスタンでは批判の声

インドメディアは、会談に関し、好意的な報道をしているが、パキスタン側はそうでもなかった。両首脳の握手の場をテレビで見た多くのパキスタン人は、モディが歩を前に進めず、シャリフがモディに近づいて行く様は、まるで帝王が臣下を謁見するのと同じとし、シャリフはパキスタンに恥をもたらした批評する評論家も出ている。

両者の握手一つにしても、このような批判が出ることが、現在の印・パキスタン関係の難しさを表していると言えよう。

問題はパキスタン軍とISI

ビジネスマンから政治家になったシャリフ氏は、軍人上がりのムシャラフ前首相とは違い、経済的、政治的観点からしても、インドとの関係改善がパキスタンにとって必要であることは良く理解しているようだ。インドとの関係改善に熱意を持っていることは分かるが、問題は軍と3軍統合情報部(ISI)の存在だ。両組織は一貫して対印関係改善を阻止し続けている。インドとの関係をこじらせることで、国内での影響力を維持しようとしている。

シャリフ氏が民意を背景にどこまで両組織を抑え込めるかが、今後の印パ関係改善のカギと言っても良いのではないか。

モデイ・シャリフ両氏は、マンモハン・シン前首相の時代と違い、個人的に密接な関係を作り上げようと努力しているようだ。 (了)

労働改革、一歩を踏み出す
モディ首相の目玉政策となるか

 労働者保護を目的とした産業紛争法(Industrial Dispute Act)は1947年に制定された。その後1976年と1982年に改訂され、 現在に至っている。

1976年の改定ではVB項目が付け加えられ、労働者300人以上の全ての雇用主は、労働者のレイオフ、解雇、また会社閉鎖について、関係政府機関の事前許可取得が義務付けられた。不人気な非常事態宣言の下で、1977年の総選挙を戦うインディラ・ガンディー首相(当時)は、労働者票を確実なものにするために、このVB項目を導入したことは、現在では定説になっている。

しかし、この戦略は働かず、インディラは敗れてしまった。

その後1984年にVB項目は再度改正され、労働者100人以上の雇用主に適用されることになった。資本家にとってより厳しいものになり、現在に至っている。

1991年、ナラシマ・ラオ氏が首相に就任し、経済開放政策を取った。労働関係開放の要求が資本家から強くなり、1993年、VB項目は1984年以前の状態に戻すことが提案されたが、実現できなかった。

後のNDA連立のバジパイ首相(当時)の時も、また前マンモハン・シン政権時代の10年間にも提案されたことがあるが、連立与党内からの反対で、日の目を見なかった。

モディ首相、労組指導者と会合  モディ首相は19日、ニューデリーで労働組合指導者と会い、労働改革の必要性を訴え、「コンセンサスに基づき、法改正に全力で取り組みたい。最小の政府、最大のガバナンス、邪魔な不必要な法律の除去を実現したい」と労組の理解を求めた。これに対し、労組側からは「同意できない」との意向が示された。

政府は着々と手を打っており、Apprentices Act 1961、Factories Act 1986などの改正を国会に提出している。州レベルでは、BJPが政権を取っているラジャスタン州で、昨年、産業紛争法のVB項目が改正され、1984年以前の状態に戻った。グジャラート、マディア・プラデシュ州でも法改正の手続きが進んでいる。

労働関連法は時代遅れ

有識者は、モディ首相が「メイク・イン・インディア」の政策を押し進めるためには労働関連法の改正は不可欠と指摘している。現在の労働市場を取り巻く環境は、30年前の終身雇用がベストな労働者保護とされた時代と変わって来ており、有能な労働者は容易にベターな職場に移ることが出来る。労働関連法が時代遅れになってきていることは周知のこと。外国人資本家の信頼を得るためには、労働法改正はマストと言えよう。

モディ首相の実行力に期待をかける資本家は多い。(了)

AP州、新州都マスタープラン
シンガポール政府提出

シンガポール政府はアンドラ・プラデシュ(AP)州の新州都、アマラヴァティ(Amaravati)のシード・キャピタル・エリア(SCA)のマスタープランをチャンドラバブ・ナイドゥAP州首相に提出した。これは三段階に分けたマスタープランの最終版。SCAマスタープランは、AP州新州都の中心部16.9平方キロの土地開発計画で、州庁舎、州議会、裁判所などの政府機関の建物が含まれる。

定礎式は10月22日

ナイドゥ州首相は、シンガポール政府のスピーディな仕事に感謝の意を表し、「2015年10月22日に、州都アマラヴァティの定礎式を行う」、「新州都は、AP州民、インド国民の誇りとなるような都市にしたい」と述べた。 マスタープランは、「働く、生活する、学ぶ、遊ぶ」という新しい環境保護都市のコンセプトに基づく未来都市造りを目指している。

日本の官民も協力

新州都建設には、日本の官民も上下水道、ごみ処理場、バイオマス発電、都市交通などインフラ分野で協力する。2015年1月には高木経産省副大臣がAP州を訪れ、シンガポール政府と共に新州都建設で連携することで州政府と合意に達した。日本政府は2015年4月に州政府にプロポーザルを提出した。 7月7日にナイドゥ州首相が来日し、宮沢経産大臣と会見した。

西のグジャラートに東のAP

AP州の強みはインド東海岸に位置し、アジアに最も近く、ヴィサカパトナム(Visakhapatnam)という深水港を持っていることが挙げられる。 政治的にも、ナイドゥ州首相というベテラン政治家が安定政権を保持しており、モディ首相との関係も良好で、今後10年、政変は無いとみられている。

ナイドゥ氏は親日家としても知られている。

すでに、いすゞ自動車など多くの日系企業が進出を表明しており、将来的に西のグジャラート州に匹敵する日系企業やアジア、欧米企業の進出先になることが期待される。(了)